実感とルールの乖離

西村眞悟衆議院議員が、Webのコラムで書かれていることです。
http://www.n-shingo.com/cgibin/msgboard/msgboard.cgi?page=0

しかし、JR西日本は、株式会社なのだ。よって、このJRという会社の所有者が株主であるならば、所有者の大株主が出てきて「申し訳ない」と頭を下げるべきではないか。しかし現実は、そうはならない。
 JRに限らず、私鉄の事故、関西電力の事故、○○会社の事故などの株式会社の事故において、例えば年金生活や未成年の大株主がかき集められて、私の所有物が事故を起こしましたと、テレビカメラの前で謝罪することはない。
 しかし、これはおかしいではないか。自分の持っているモノから事故が発生して死亡者がでたならば、その所有者が謝るのが当たり前ではないか。
 だが現実には、事故に際して、反省し小さくなっているのは、その会社の社長以下役員と従業員であり、社会もそれを当然としている。

このコラムでは、この話がライブドア騒動や構造改革批判などに繋がっていて、その流れにはすべて賛同できるわけではないのですが、引用した部分はよくわかる話です。
結局の所、事業の実務に従事する人達は、建前のルールの世界(資本主義の世界)とは離れた実感の世界(労働主義の世界)に生きていて、ときどきルールの世界でおいたをするプレーヤーが出ると迷惑をこうむってしまうということなんでしょう。でも、ルールを無視しつづけるわけにも行かないですし。
もともと株式会社という仕組み自体、事業者が体よく資金を集めるための一種の虚構なんだと思います。で、ときどきその虚構に手をかまれてしまう。だから、手をかまれないように注意しましょう(ころあいを見て非公開にしたり、適当に持ち合ったり)、という話でいいんじゃないんでしょうか。だめですか。